月の檻







 昔々あるところに、とても美しいお姫様がいました。
 金の絹糸のように繊やかな髪。白磁のように滑らかな肌。深海のように深く碧い眼。頬は淡い紅色で、お姫様が微笑むとそこに浅く笑窪が浮かびました。
 国民はその笑顔を見る度に幸せな気持ちになり、きっと素晴らしい王子様と結婚するに違いないと思いました。
 お姫様自身も自分に相応しいのはステキなステキな王子様だと信じていました。
 長身でスマートで薔薇の香りのする王子様。
 お姫様は王子様を想って、国でいちばん高い塔に登って祈っていました。塔の上にぽっかりと浮かぶ銀色の月に。
 そして真珠が幾重にも掛けられた天蓋付きのベッドから目覚めると、立派な国の王子様の求婚の言葉を聞くことがお姫様の日課でした。
 しかしお姫様の元に求婚に訪れる王子様は大層立派な国の王子様ばかりでしたが、外見は到底立派とは言い難い王子様ばかりでした。
 ちびででぶで嫌な臭いのする王子様。
 髭面で年もお姫様の倍以上あるような王子様。
 自分の母親の素晴らしさばかり語る王子様。
 ふざけないで。何でこの私がアンタみたいなのと結婚しなくてはならないの。アンタなんか家畜小屋の豚よりも価値が無いわ。
 国民には隠していましたが実は大層口の悪かったお姫様は、そう言って次々と王子様を突っぱねました。
 しかし父王から必ずお姫様の心を掴み国交を築くべしと言われている王子様達は、はいそうですかと引くわけにもいきません。この儘引き下がっては父王の叱責は免れず、兄達からも嘲笑を浴びることは目に見えています。
 そんなことを言わず、一度僕とお付き合いくださいませんか。
 そう言ってお姫様の手に口付けをしようとする王子様の手をお姫様は力いっぱい振りほどき、思い切り王子様の不細工な顔を睨付けると、後ろに控えていた兵士に首を刎ねるように命じました。
 足元に転がった王子様の首を眺めながら、そんな汚らしい顔で私に触れようとするからよ、とお姫様は言い捨て、赤く汚れたドレスを着替えるために広間を出ていきました。
 王子様はお姫様に振られたことで立ち直れず自殺をしてしまった、と王子様の国には伝えられました。王子様が殺されたことに薄々感づく国もありましたが、お姫様の国の強大さに何も言えませんでした。
 あまりに理想の王子様が現れないことにお姫様は苛立ち、塔の上の銀色の月を怒鳴りつけました。
 何時になったら私の運命の人が現れるのよ。この私を何時まで待たせる気なの。
 すると今まで黙っているだけだった月が言いました。
 次の太陽が昇る頃、君をいちばんに訪ねてきた王子様が君の運命の人だよ。
 お姫様はそれを聞いて心躍りました。
 とうとう運命の王子様に逢える。どんなにステキなお方かしら。どんなに豪華な馬車に乗ってみえるのかしら。どんなに気のきいたプレゼントを頂けるのかしら。
 お姫様の言葉遣いは何時もの乱暴なものから品の良いものに変わっていました。
 お姫様は待ち遠しくて待ち遠しくて、太陽が昇るのを眠らずに待っていました。
 しかしお姫様は徹夜など勿論したことがありませんでしたので、空が白みだす頃には窓辺に肘を付きこくこくと舟をこいでいました。
 東の丘から太陽が顔を出し、お姫様の顔を一筋の柔らかな光が差し込んだ瞬間、東の門を叩く音がありました。
 お姫様はその音にはっと目覚め、急いで身なりを整えました。運命の王子様相手にだらしない恰好で会うわけにはいきません。隣の部屋で控えていた侍女は普段朝寝坊ばかりしているお姫様に朝早くから呼びつけられて大層驚きました。
 案の定すぐにお姫様に会いたいという人間がいると使者が来て、お姫様は喜び勇んで広間へ行きました。
 扉を開くとそこには一人の青年の姿がありました。
 ボロボロの麻の服に泥だらけでカサついた肌。靴も履いていないし髪の毛も伸び放題。手には一輪の白い花を持っていました。
 お姫様は眉を顰めました。
 僕はお姫様を一目見て恋に落ちてしまったのです。僕如きの思いが叶わないのは分かっています。けれどどうか、この花だけでも受け取って頂けませんか。
 青年は言ってお姫様に白い花を差し出しました。
 確かに顔立ちは泥を落とし手入れをすれば美しくなりそうでしたがお姫様は期待を裏切られたのと朝から汚いものを見せられたので怒り狂い、直ぐに兵士に首を刎ねさせました。青年が手にしていた白い花ははらりと大理石の床に落ちて赤く染まりました。
 そしてお姫様は何時ものように、ドレスを着替えるためにいそいそと広間を出ていきました。
 それからお姫様はずっと窓辺で運命の王子様を待ち続けましたが、到頭その日、求婚しにくる王子様はいませんでした。
 お姫様は今まで求婚に来た王子様たちと今日の青年と月に向かって毒づきました。


 昔々あるところに、とても美しい王子様がいました。
 黒く墨のように艶やかな髪。秋の稲穂のように健康的な肌。青玉のように透き通った青い眼。薄い唇はいつもしっとりと濡れたようで、王子様が微笑むと真っ白く綺麗に並んだ歯が口元から覗きました。
 国民はその笑顔を見る度に幸せな気持ちになり、きっと素晴らしいお姫様と結婚するに違いないと思いました。
 王子様の国はとても貧しく小さな国でした。しかし父王は王子様のためにと王子様に色々な国を見て廻らせました。色々な国の文化、政治、芸術。王子様は色々なことを学び、色々なことを吸収しました。
 学ぶことが楽しかった王子様は、旅から帰っても自分のベッドで寝る間も惜しく、すぐにまた新しい旅へと向かいました。
 ある国で親友である別の王子様の宮殿に泊まった小国の王子様は一人のお姫様を見かけました。お姫様は大層美しく、王子様は一目で恋をしてしまいました。しかし今まで恋などしたことのなかった王子様はどうしていいかわからずいつも遠目からお姫様を見詰めているばかりで、そうしているうちにお姫様は宮殿からいなくなってしまいました。
 親友にお姫様のことを尋ねると、遠い遠い西の国から来たお姫様だと教えてくれました。お姫様の母君と親友の母君が姉妹であったため、少しの間この国に滞在していたとのことでした。
 西の国の名は王子様も聞いたことがありました。とても強大な国です。隣国以外に名前も知られていないような王子様の国と釣合うわけもありませんでした。
 王子様は意気消沈して自国へ帰り、父王にお姫様のことを話しました。
 私は西の国のとても美しい姫に恋をしてしまいました。しかしこの思いは叶うはずもありません。どのようにしてこの気持ちを諦めたらよいのでしょう。
 父王は王子様に向かって言いました。
 ならばその思いを伝えに行けばよい。叶うわけがないと行動もせずに初めから決め付けるのはよくないことだ。
 父王は強国と結びついて自分の国の権力を高めようといった打算などなく、ただただ王子様の気持ちを思ってそう言いました。
 王子様は父王の言葉に旅立つ決心をしました。
 とは言ってもお姫様の国は遥か遠く。途中に砂漠や森もあり、一体何日掛かるか知れません。けれど王子様の決意は強く、二人の信頼できる従者と共に自分の国を旅立ちました。なるべく立派な服を着て、精一杯の贈り物を持って。
 長く過酷な旅でした。
 砂漠で一人の従者は蟻地獄に呑まれてしまいました。王子様は悲しんで、従者の供養に身に着けていたものを蟻地獄に捧げました。
 森で一人の従者は沼に沈みました。王子様は悲しんで、従者の供養にお姫様への贈り物を沼に捧げました。
 一人きりになってしまった王子様はそれでもようやく砂漠も森も抜けて、街道に出たところで賊に襲われました。高価な衣服は全て奪われ、情けに麻の服を放られました。
 王子様はそれでも諦めませんでした。今まで着たことのないごわごわとした麻の服に袖を通し、疲れ切った体を引きずってお姫様の国まで歩いていきました。途中何度も転び、王子様の体は泥だらけになりました。王子様の味方はもう、温かい光で王子様を包み込む金色の太陽だけでした。王子様は太陽に感謝し、祈りながら歩きました。
 どうか僕に、姫の元まで辿り着ける力をください。僕は姫を愛しているのです。例え愛されなくともこの思いを伝えたいのです。
 すると今まで王子様を見守っていた太陽が言いました。
 大丈夫。次に私が昇る頃、君は運命の姫に会えるだろう。
 嘘でも嬉しいよ。
 王子様は力なく、けれど心から笑みを浮かべました。
 やがて夜が来てまた朝を迎える頃、苦労の甲斐あって王子様はお姫様の国に辿り着きました。王子様は逸る心を押さえ、門を叩きました。そこでお姫様への贈り物を何も持っていないことに気付き、門の前に一輪だけ生えていた綺麗な白い花を摘みました。
 城門が開き、王子様は国の中へ足を踏み入れました。
 王子様は助言をくれた父王と支えてくれた従者と太陽に向かって感謝しました。


 それから月日が経って。
 お姫様はまだ一人です。
 お姫様は今でも月に祈り続けています。
 城の裏手のゴミ捨て場に運命の王子様の骨が転がっていることなんて気付かずに、今日も健気に祈っているのです。

END











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