きのこのもり







 森の奥の奥の方にキノコの形をした図書館がありました。毒々しい鮮やかな赤に白い斑点が描かれた傘。斑点のいくつかには窓ガラスが嵌め込まれ、太陽の光の加減で時折きらきらと虹色に瞬きました。壁はクリーム色に塗りたくられ、太いくびれのない瓢箪のようにもってりとしておりました。それはどこからどう見てもキノコでした。
 図書館の中では沢山のキノコ達が働いておりました。冴えない茶色いカサのキノコ、全身真っ白なひょろ長いキノコ、オレンジ色をした見ているだけで笑い出したくなるようなキノコ、びらびらとした羽衣を纏っているくせにどこが胴体なのかわからないようなキノコ。他にもたくさん。本当に様々なキノコ達が、ぴょこぴょこと飛び交い、自分達の何倍もの大きさのある本を管理していました。
 時には本の重みでバランスを崩してぺしゃんこになる者もいましたが、キノコは次から次へと生えてくるのでそんなのお構いなしです。キノコ達はそれはそれは勤勉に働いていました。
 そんな図書館に一匹の山羊が来館しました。立派な髭を蓄え、引き締まった足をした逞しい山羊でした。
 本を貸してくれる場所だと聞いてやって来たんだが。
 山羊は言いました。しかしキノコ達は一様にカサを振りました。床にはぱらぱらと胞子が散らばりました。
 申し訳ありませんがあなたに本を貸すことができません。
 キノコ達がそういうと山羊はひどく憤慨しました。
 何故だ、ここは本を貸す機関なんだろう。私はこんなに困っているのに手を差し延べてもくれないのか。
 山羊は前足でがつがつと床を踏み鳴らしました。小さなキノコ達は怯えて大きなキノコの陰に身を潜めました。
 失礼ですがどんな内容でお困りですか?
 ひとつの若いキノコが勇気を出して一歩前へと進み出ました。山羊は三日月を横に傾けたような目をそのキノコに向けました。
 最近お腹がすいてお腹がすいて仕方ないんだ。何かの病気かもしれない。だから医学書を貸してほしいんだ。
 それでしたら尚更あなたに本を貸すことはできません。
 何故だ?
 だって本を貸したらあなたの食欲を増進させるだけですから。
 若いキノコの言い分に山羊はなるほど、と頷きました。しかし先程から山羊の胃袋は限界を訴えており、どうにも我慢ができなくて、目の前のまだカサが開く前のキノコにぱくりとかぶりつきました。
 キノコがいた場所には何も残りませんでした。
 山羊は多少は満足したのか、かつかつと足をならし、雄々しい体を揺すりながら図書館を出ていきました。



 働き者が減ってしまったのでキノコ達はよりいっそう真面目に働きました。本当はひとつのキノコがいなくなったくらいでは大したことありませんが、そこはほら、気分です。
 あるものは背表紙の色をグラデーションにして達成感を感じてカサを開かせ、あるものは頻繁に増えたり減ったりする蔵書をひたすらノートに纏め続ける終わりのない仕事を休みなく繰り返しておりました。勿論その横でバランスを崩して本に潰されるキノコもおります。まぁいつもの光景です。
 そんな図書館に一羽の兎が駆け込んできました。白いはずの毛は泥で汚れてぱさぱさになっており、どれほどのスピードで駆けてきたのか扉を閉めるなりよろよろと崩れ落ちました。
 近くにいたキノコ達がわらわらと兎の周りに集まりました。
 どうなさったのですか。茶色い地味なキノコが兎に尋ねました。
 狐に追われているのです。少しばかり匿っていただけませんか。
 しかし兎の頼みをキノコはばっさりと切り捨てました。
 ここは本を貸すところです。それ以外の目的の方はお客様でもなんでもありません。
 兎は真っ赤な目を更に赤くして涙を流して訴えました。おねがいしますおねがいします。そう言ってぴぃぴぃ泣く兎をキノコ達は鬱陶しそうに眺めました。
 そうしているところにどんどんどん、と図書館の扉が叩かれました。天井からぱらぱら落ちてくる胞子にキノコ達はざわつきました。口を開こうとした茶色いキノコを制して、年かさのいったキノコが静かに前に出て扉の向こうに呼び掛けました。
 どちら様ですか?何の御用でしょう。
 ここに客がこなかったか?白くて真っ赤に目を腫らした兎だ!
 
それは狐の声でした。どすのきいたダミ声に兎はひっと息を飲んで汚れた体を小さく丸めてガタガタと震えました。  さて、と年老いたキノコは首を傾げました。
 朝早くから働いておりますが今日はただの1人もお客様は見えておりませんねぇ。私どもはいつでもお客様を待ち望んでいるけれど。あぁ、よければあなた、何かお読みになりたい本はございませんか。
 本など頭が痛くなるだけだ。
 キノコ達が嘘をつかないことを知っている狐は小さく、邪魔をしたな、と呟いて扉から遠ざかっていきました。
 兎は何が起こったかわからずに呆然とキノコを見つめました。
 あの、あんなに迷惑そうにしていたのにどうして私を匿ってくださったのですか?
 はて、匿ってなどいませんが。
 キノコはにこりと笑いました。口がどこにあるかわからないので、正確には笑ったような気がしただけですが。
 だって本を借りにきたわけでもない貴方はお客様でもなんでもないでしょう。
 兎はわっとその場に泣き崩れ、ありがとうございますありがとうございます、と何度も言いました。その様子をキノコ達は相変わらず鬱陶しそうに眺めていました。



 兎がお礼にと残していった木の実で椅子を作っているキノコの元に、天窓からふわりとタンポポの綿毛が舞い降りてきました。
 ちずをはいけんしたいのですが、綿毛はまだ幼い声で、ですが大人びた口調で丁寧にそう言いました。どうやらお客様だったようです。キノコは久方ぶりのお客様に沸き立ち、様々なキノコが我先に我先にと綿毛につめよりました。とっとと掃き出してしまおうとしていた清掃係の真赤なキノコは、慌てて箒代わりの針葉樹の葉を括ったものを自分の体の後ろに隠しました。
 あ、あの、どこへとんでいったらいいのかわからないのでちずをみせていただきたいのです。ぼくはせかいをまったくしりません。だから、せかいのすみずみまでわかるようなちずを。
 詰め寄せるキノコ達に少し怯えながら綿毛が言いました。周りを囲んでいたキノコ達はばっと四方八方に一斉に散っていきました。綿毛は不安そうに動き回るキノコを見つめていました。
 あるキノコはこの森の泉の場所から小さな木の洞穴まで図解してある地図を、あるキノコは空想もふんだんに混ざった世界の果てまで記してある地図をそれはもういつものキノコ達とは思えない早さで選んでいきました。キノコ達が通った後には色とりどりの胞子が散らばり、そして清掃係の真赤なキノコがそのあとを追う様にして床をぺたぺたと粘着力のある食虫植物の葉っぱで掃除して行きました。
 地図を手にしたキノコ達がほぼ同時に戻ってきました。一斉にばさばさばさりっ、と沢山の地図が小さな小さな綿毛の前に置かれました。その風圧で軽い綿毛の体はふわりと宙に浮きました。
 そのときびゅう、とタイミングよく開いたままの天窓から強い風が吹き込みました。
 あっ。
 風の流れに乗せられた綿毛は必死でその白い綿を伸ばしましたがキノコ達には差しのべる手がありませんでした。
 ふわふわと軽い綿毛はその風に乗せられ、あっという間に視界から消えてしまいました。
 キノコ達はしばらく綿毛の飛んでいった方向を見つめていましたが、やがて何事もなかったかのように各の仕事に戻っていきました。



 やがて図書館の周りには沢山のタンポポが咲きました。ですがその中にあの綿毛の姿はありません。
 あの綿毛も望むも望まないにも関わらずどこか見知らぬ土地で花を咲かせているのでしょう。結局地図など見たところで、風の力には勝てる筈もないのです。
 そんなことに思いを馳せても仕方がないのでキノコ達はただ働くだけです。毎日毎日同じことの繰り返し。
 図書館に客が訪れました。それは見たこともない生物でした。その生物は頭のてっぺんにしか毛がないことがはずかしいのか体にいろんなものを巻き付けていました。キノコ達は見知らぬ生物をまじまじと見つめました。
 これはすごい!こんな光景は見たことも無い!
 見知らぬ生物はとても嬉しそうな顔で叫びました。見知らぬ生物の顔はずいぶんと高いところにあって、キノコ達には見上げるのも一苦労でしたが、自分達がせっせと作り上げている図書館を褒められて満足げでした。何しろ毎日毎日せっせと手を入れている図書館です。蔵書の数だって整理の仕方だってそうそう右に出るものはいないと思っています。
 ほんとうにここは宝の宝庫だな。
 そうでしょうそうでしょう。
 キノコ達は自分達の功績を讃える声にうんうんと頷いていました。
 見知らぬ生物は歓喜のあまり興奮しているようでした。息を荒くしながらその場にしゃがみこむと、近くにいた若いまだ小さなキノコを見つめました。まだお客様の対応に慣れていないキノコは、少し戸惑いながら見知らぬ生物に声をかけようとしました。
 あ、あの、どういった…
 しかし言葉はそこで途切れました。見知らぬ生物が伸ばした大きな手に口をふさがれたからです。まあ勿論口がどこにあるかはわかりません。
 小さなキノコはそのまま頭上高く、見知らぬ生物の顔の位置まで持ち上げられました。経験したことのない高さに、小さなキノコは気を失ってしまいました。
 ほんとうに珍しい。これはいい収穫だ。
 そう言って見知らぬ生物は幼いキノコを背負っていた籠の中に放り込みました。
 これも、ああこれも。今まで見たことが無い新種のキノコだ。
 ぶち。
 ぶち。
 ぶちり。
 見知らぬ生物はぎらぎらと輝く目でキノコ達を選別していきます。
 キノコ達は何が起こっているのか分からず茫然と見知らぬ生物を見上げました。そうしている間にも見知らぬ生物はずかずかと奥に進み、本になど目もくれずにキノコ達を掴みとっていきます。漸く事態に気付いたキノコが一斉に四方八方に散ろうとしましたが、既に手遅れでした。半数以上のキノコが籠の中。籠の向こうから小さな悲鳴が聞こえますが、見知らぬ生物はそんなこと意にもかいしていないようでした。
 ふむ、こんなものだな。次はまた今度にしよう。
 そうしてあらかたのキノコを籠に入れ終えて、漸く見知らぬ生物は口笛を吹きながら去っていきました。今にもステップでも踏みそうな軽快な歩き方でした。
 残されたキノコ達はぼんやりと見知らぬ生物の後ろ姿を見つめました。少しくらい本に潰されたり山羊に食べられたりしたところで困りませんが、流石にこれだけ働き手が一気に減っては図書館を運営するのは致命的です。しかし見知らぬ生物の歩幅は大きく、追いかけて籠の中のキノコを助けることなど儘なりません。キノコ達は夕暮れの中に消えていく後ろ姿をただただ見ているだけでした。



 森の奥の奥の方にキノコの形をした建物がありました。毒々しい鮮やかな赤に白い斑点が描かれた傘。斑点のいくつかには窓ガラスが嵌め込まれていましたが、太陽の光の加減で時折きらきらと虹色に瞬くガラスはヒビだらけ。壁はクリーム色に塗りたくられ、太いくびれのない瓢箪のようにもってりとしておりました。その壁は泥で汚れきっていました。どこからどう見てもキノコのその建物の中には今は誰もいません。ただ、小さな本が、床に所狭しと散らばっているだけです。時折山羊が、小腹を空かせて立ち寄ったりもします。少しずつ少しずつ、本は減っていきます。
でもキノコの形をした建物は、そうしてずっと森の奥に在り続けます。







END











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